自分の価値は自分で決める(信じる)

雨の日に、長靴は履くけど傘をささないどうかしているTAIKIです。

さて、コロナ禍でどうにかみんな自分の仕事=価値を生み出そうと活動されているかもしれません。

社会的価値が高いとは言うまでもなく、より沢山人のためになったり喜びを与えたりしたひとつの指標で、ここに僕はこだわっています。

たとえばダンスで人に社会的価値を多く与えるということについて考えてみたい。

1000円で売っているものは1000円の価値、2000円で売ってるものは2000円の価値。としたときに、それが高いか安いかどうかは「相場」を基準に考えますよね?

たとえば3000円でダンスレッスンを販売してるのを見たら「なんで高いんだろう?内容がすごくいいのかな?」「なにか他に特典があるのかな?」と想像すると思う。

若手よりベテランのほうがレッスン料が高いのはベテランのほうが期待値(ブランド、感動させるダンス力)が高いからだとおもう。そしてそれ以上に自分の価値を信じてその価格にしているからだとおもう。

「相場」の落とし穴

ぼくは「実績がある(大会で優勝)」はひとつの価値はあると信じている。でも社会的な価値があるかどうかは別のはなしだ、とも思う。実績のための努力は「なにか価値がついてくるんじゃないか」と期待し行動することであり広く認知してもらえることでもあり、たいへん素晴らしい。僕もそうやってきた。

ただ(僕は欲張りなのか)期待しているだけでは満足できずにいた。そのために多少色んなリスクはあったが、発信することに決めた。見えない価値を信じきって自分が自分の価値をコントロールできないこと、「ただ待つ」ことに疲れたのだ。

待つことはリスクも少ないし、世間のそれこそ相場みたいなところに留まるスタンスになるので疑問ももつ必要がないし、わざわざこのようにブログで意見を述べて嫌われることもない(笑)

でも、それでも!なんでこんなにこだわるのかと言えば、、、とよくいつも自問自答してる。

それはたぶん僕がいる世界のダンサーのセンスの素晴らしさや優れた仲間たちを、その価値をすごく感じているからだとおもう。

周りの人の活動をみていて「もっとこう振る舞えば価値を発揮するのにな」「もっと発信をこう転換したら伸びそうなのにな」と勝手ながらおもっている(笑)それくらい人の活動を見ているし、そこから、自分だったらこうしてみようとか差別化してみようとか勉強させて頂いている。

ただ評価や値札を貼られるのを待つ(自分の価値を他人に委ねる)のではなく、自分の価値は自分で決めていくスタンスがないといけない。

それがないと結果的には

みんな同じようなアプローチの活動になったり(→相場の概念で活動しているから)、他人との差別化が図りにくくなる(→社会的価値はあがらない)という願ってもない状況を自ら作り出してしまう。と、僕は思います。

ダンサー(ダンサーに限らずとも)でこのブログを読んでくれている人で、自分の価値をあげたい、有名になりたい、もっと稼ぎたいetc.と思っている人がいたら

①まず自分の価値を信じられるようになるまで実績を積む(→成功体験、優勝するなど)

②自分のセンスが発掘できたら信じ切る!(→ここがすごく大事!と思う)

③それが最大化されるような発信をし、社会的価値を高められる手段を用いる(→つまり時間の使いかた)

を意識してみたい。

これは「相場」から外れる考え方なので、相場のなかにいる多数の人からは共感を得られないかもしれない。

それでも自分の価値を信じきることが、もしできれば(信じたいのなら!)そういう人には表現や言葉に一種のパワーが宿ってくると思ってるし、その気持ちが人を惹き付けるパフォーマンスを発揮するとも思う。

そしてその「一貫した意思の活動」はやがて連鎖を生み多くの人を感動させることができると思う。

逆に待つスタンス(自価値を他に委ねる)だと、一貫した意思の活動はしにくくなる。なぜなら求められる状況に自分をその都度都度合わせていかなきゃいけないからだ。

以上のような考えでぼくは日々の発信や自分の値付けをしている。そんな感じでぼくの活動をみていただけると有り難い。

今日も貴重なお時間をつかい最後まで読んでいただきありがとう。

            

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